50歳になって思ったこと
私は60歳の定年退職を迎える直前に退職しました。事の始まりは、今から10年近く前の丁度50歳を回った時からだったと思います。子供たちが高校生・大学生となり、当時勤務していた会社では部長職を拝命していたころです。
私の大分県の漁村の出身ですが、帰省のたびに郷愁をだんだんと感じると共に、定年後は故郷の発展になんらかの一助ができないかとも思うようになりました。また、退職後は現在住んでいる地元にも貢献できないかとも考える様になりました。 その際に強く意識したことは、①自分の健康寿命、②記憶力の衰え、③会社での今後の地位、といった点と、当時言葉はありませんでしたが、「人生100年時代への備え」でした。
健康寿命
上記は2020年版厚生労働白書から転記したものです。男性の寿命は81歳ですが、健康寿命(平均寿命から寝たきりや認知症など介護状態の期間を差し引いた期間)はなんと72歳ではないですか。となると、60歳で定年して12年、65歳まで延長すると7年しかないのです。これにはビックリすると同時に焦りました。
記憶力の衰え
皆さんも覚えがあると思いますが、時々名刺交換した人の名前だけだったらいいですが、顔を忘れている。若手部下の名前が出てこないとことが、50歳を境に増えてきました。以下の図は、東洋経済のHP(出典:Science Direct; Sage Jounals)から抜粋ですが、脳の能力のピークを表しています。
記憶力の衰えだけでなく、「計算能力」や「新たな情報理解能力」が50歳をピークに低減していくとのことです。会社で培った力だけでは、知識に偏りがあるため、新たな世界で貢献するためには、新たな知識の入手が欠かせません。これも焦りを生む要因でした。
会社での地位と必要所得
一般的に、部長への就任時期としてのピークは50-54歳(4割強)、離任時期のピークは55-59歳(6割弱)だそうです。これは地位と同時に今後のことを考えると、ほぼ子育てが終わる時期とリンクしています。私の場合もこのケースで50歳台後半に大学を卒業するタイミングでした。これは、子育てが終わると同時に、ローンを含めた生活費のピークでもあります。つまり、なかなか50歳の後半になるまでは、退職をして新たな挑戦へは臨みづらいとのことを示しているのかもしれません。
人生100年時代への備え
一方で、人生100年時代構想会議中間報告には、
- ある海外の研究では、2007年に日本で生まれた子供の半数が107歳より長く生きると推計されており、日本は健康寿命が世界一の長寿社会を迎えています。
- 人生100年時代に、高齢者から若者まで、全ての国民に活躍の場があり、全ての人が元気に活躍し続けられる社会、安心して暮らすことのできる社会をつくることが重要な課題となっています。
とあります。これは、「100歳までの高齢者を支えるためには、できるだけ長く働き、社会保険を頼るのでなく、担い手になりなさい」、言い換えると「今後は年金の支給開始時期の繰延べや、健康保険料の増額」を示唆していると言えます。ついては、50歳にのる際に、長く働く準備、特に「楽しく」、「生きがい」・「健康」をもって長く働く準備をしないといけないと強く思いました。
新たな挑戦のタイミング
丁度50歳になった頃は会社人生の中でも非常に忙しく働いている時期でした。上記の様なことには気づいているものの、深く考える時間がまったくありませんでした。でも、①健康寿命、②記憶力、③会社での地位、④人生100年時代への備えの必要性、を考えると、新たな人生へのチャレンジの準備は遅くとも50歳台に終えておくのが望ましいとぼんやりと考えていました。
でも、そのためには、どのような準備をしないといけないのかや、いつからと思うこともなく、毎日を過ごしていました。そのキッカケは次回お話したいと思います。